2011年3月11日、震災の記憶

2011年3月11日の東日本大震災より6年が経ちました。

震災で犠牲になられました方々のご冥福をお祈りするとともに、未だ復興途中にある地域・皆様の1日も早い復興をお祈りします。

そういえば、ブログで全然震災のことに触れてなかったかもしれません。というより、今まで書く気力がわいてこなかった、と言う方が正しいのかも。今ながら当時のことを振り返ってみました。

 

2011年3月11日

当時は仙台市の比較的中心地に住んでおりましたので幸い津波の被害はありませんでした。住んでいたアパートは一部損壊で済みましたが、インフラが完全に破壊され、電気は約1週間、水道が2週間弱、ガスは1か月ストップ。

あの日は仙台駅前の生保さんでのイベント仕事、相方は自宅で電話鑑定している時に地震が発生。その直後、ショートメールでお互いの安否確認が取れたのは幸いでした(その後、すぐに電話もショートメールも不通に)。

 

断続的に強い余震が続いていたため、ただ事ではないということしか分からず、30分ほど待って徒歩で帰宅。途中、駅前のロータリーを見れば一時避難している人々でごったがえし(強い余震が来るたびにあちこちから声が・・・)、そして道路は車で大渋滞。。。そんな光景を横目に、とにかく家路を急ぎました。

しかし、不思議なことに、信号が全て止まっているのに、誰一人クラクションを鳴らすことなく、1台1台ゆっくりと交互に渡っていくのです。さすがは日本人!という感じ。

4時過ぎに無事相方と合流できたのですが、突然雪が降りだしてきました。不思議なことに、そろそろ暗くなってくる時刻なのに、かなり明るいんですよね。頭上を見れば、紫がかって怪しく光る雲・・・これも地震の影響だったのでしょうか・・・?

 

でもって、車にはガソリンが殆どなく、仙台から脱出して実家(栃木)に避難することは無理でした。仕方なく、その日から暗くなったら寝て明るくなったら起きるという原始生活に。水は近所の小学校に来てくれた給水車まで汲みにいき、カセットコンロで食事の準備。当然、夜はそう早くは寝られませんから、相方と寝落ちするまで何か話をしたり、「しりとり」したり・・・

というと、なんとなくほんわかしてそうですが、四六時中震度4~5の余震が続く中でのこと。こうでもしなければ、お互い精神的に参ってしまったでしょう。

朝7時になると、何台もの消防車がサイレンを鳴らしながら東(海の方)へと向かっていき、それを合図に起きる日々。でもその理由を知ったのは、暫くしてからでした。

 

でもって、3日後くらいに近くの小学校に来てくれた給水車は、なんと岡山から来てくれました(おかげで給水がすごく楽に)。聞けば、夜通し(下道を)走って駆け付けてくれたとか。頭が下がりますし、ホント涙が出そうでしたよ。

そのころから近所のスーパーが再開したのですが、購入できるのは「ひとり10品」まで(当然、生鮮品などは限られていて高い。中にはメーカーの好意で普段より安いものも)。それも寒風吹く中を4時間くらい待ってようやく入店。しばらくの間はこうして3~4時間待って何かしら買う、の繰り返し。

そして近くのケーキ屋さんは、ゆで卵やリンゴを無償で提供していたり、近所の中華屋さんは使える食材で調理した料理を安く提供していました。しかし、キャベツ1個¥800とか、サバの半身を¥1,000とかで売る店もあったりしました。

 

震災後1週間くらいして電気が復旧。やっとネットが使えるようになると、多くの友人・知人たちから安否確認や激励のメールが届いていて、ホント嬉しかったです。ですが、、、中には福島原発に関するデマ情報を「危険ですから拡散してください」みたいに流しているメールも沢山あって、こういうのを平気で流す輩とは縁切りました。

ちなみに、お風呂に入れたのは2週間後。お友達の家のガスが復旧したので、お風呂借りました。まさに生き返る~という感じでしたが、震災の疲れ&2週間ぶりのお風呂でちょっと湯あたり状態に。やっとほっとできた証拠だったのかも(笑)

 

このころ、近所にあった銭湯が再開したので、私たちも入りに行こうか?と話していたのですが、我々は友達のところでお風呂を借りられたし、ここは控えよう(もっと必要としている人に譲ろう)と思っていきませんでした。しかし、その後悪評が立ってこの銭湯が廃業。

なんでも、「銭湯なのに湯が汚い」ということが理由だったそうです。でも、この状況下、大量のお客さんが来れば、ある程度は仕方ないと思うのですが。。。やっとの思いで再開したであろう銭湯の店主のことを思うと、いたたまれないです。

 

そして、電気が再開、水道が再開、ガスも復旧して、スーパーにはいつも通りの商品が並び・・・と徐々に復旧し、私達の生活も徐々に元のように戻っていきました。なんか、こう当時を振り返ってみると、(津波の被害や地震で家屋全壊という被害と比べると)被害は比較的軽微でしたが、結構サバイバーしていたんだなぁ・・・と思います(汗)

 

震災の教訓

震災の時は車は使うな、いち早く家族と合流しろ、水や携帯食料・防災用品用意しとけ、とか、いろいろあるんだけど、自分が思う教訓ベスト3としてはこんなとこかな。

 

教訓その1:生きろ!

その(震災の)時は「生きること」しか考えてなかったと思う。だから4時間待とうが、毎日水汲みに行こうが苦にならなかったと思う。

あと、できるだけパートナーや家族と一緒にいること。支えあい、一緒に頑張ろう!って気になるから、生きる気力がわいてきます。私も相方がいたから乗り切れたと思う。もちろん、普段から良い関係を築いておくことが大前提ですけどね。

 

死んだ人のことを思え!みたいに言う人もいますが、それは不要な罪悪感を押し付けることだから、聞く耳持たなくていいです。第一、一度も死んだことがないヤツが、何を偉そうに死を語るのか?

そんなことよりも、生きていることに感謝なさい。たまたま被災しなかったことに感謝なさい。たまたま平和で豊かな日本に生まれたことに感謝なさい。そして、生きて出来ることを考え、出来ることをしなさい。その方が被災地の人は嬉しいから。

生への感謝ではなく死の方に意識が向いていると、客観的な見方や判断ができず、地震や原発などでのちょっとした情報にパニックやヒステリー起こすようになります。これは百害あって一利なし。良いものを何も生み出さないばかりか、周囲に悪影響をまき散らします。

 

何よりも普段から生きることに感謝していると、震災のような緊急時にも生きる力になります。それに運よく被災しなかった時も、何か被災地のために、と自然に意識が向くようになります。

 

教訓その2:正確な情報を

災害時に必要なのは「正確な情報」なんですよ。水や食料は確保できるのか?もあるんだけど、『一体何が起こっていて、どうなっているのか?』という情報が第一。そうすれば避難した方がいいのか、そこに留まった方がいいのか判断つきます。

実は震災の時、最も役立ったのが15年も前に買った「アナログのカードラジオ」でした。携帯も使えず、停電でTVもネットも使えませんでしたが、カードラジオが唯一の情報源となり、そのおかげで近所の小学校ので給水や炊き出しのことを知ったのです。

あと、電源不要で電話ジャックに差し込むだけで使える電話機もあるといいかも(電話線が生きていれば連絡ができる)。

 

教訓その3:安全確保

震災直後はとにかく安全確保、避難するなら学校の校庭みたいな広くて安全な場所、というのは皆さん分かっていると思います。でも、インフラが1日も早く復旧する、ということを考えた場合、ちょっと異なります。

インフラがいち早く復旧するのは、拠点病院や警察、役所など。だからこういった施設の近くに住んでいると、万が一被災してもインフラの復旧が早いです。下手に自宅をシェルター化するより、こっちの方がいいかも。
※ちなみに札幌の自宅もこの教訓を活かして、大きな病院のすぐ近くにしました。

 

Part2「震災時これはヤメロ!」に続く。

 

本日もブログをお読み頂きありがとうございましたm(_._)m心理カウンセラー・らぶさん印

2011年3月11日震災の記憶

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